■2015年5月16日(土曜)
<朝>
◎NEWフェルガードLA(×2包)
◎フェルガード100M
◎リブラT(朝用)
◎アルファベスト(カプセル×4)
◎マナテック AO 1錠
◎マナテック(パウダー)
◎ブルーベリー
◎DHA&EPA&PS&レシチン3錠
◎果物ジュース(アルギニン×2)
<夜>
◎NEWフェルガードLA
◎フェルガード100M(×2包)
◎リブラT(朝用)
◎アルファベスト(カプセル×4)
◎マナテック AO 1錠
◎DHA&EPA&PS&レシチン3錠
◆ケイ素(シリシア)
◆水素水
朝7時 ~
母:「今日、なんかあったような気がするんやけど、町内会の何かやろか?」
私:「おっかさん、今日はピアノのレッスンの日やろ? 頭ボケとるみたいやから風呂入り! 風呂入ったら、頭シャンとするでぇ!」
で、今日は朝一のサプリを飲んだら、直ぐに風呂に入ってくれた。
風呂から上がると、かつらを乗せようとしていたので
私:「おっかさん、そんなんもうやめとき。 頭皮に悪いし、しかも色ぜんぜん合ってへんがな。 毛染めて茶色になってんのに白髪のかつら乗せてどーすんねんな」
私:「とりあえず、レッスンまで時間あるから、ピアノの特訓やぁ! はい電源入れて! ヘッドホンして! 今日は、この曲やで!」
その後は、30分ほど練習していたが ・・・
ドタドタドタッ! と私の部屋に入って来て
母:「これでどう!? ほら! 合ってるやろ?」
と、今度は色が合っているかつらを頭に乗せてアピールしてきた。
私:「まぁ、色は合っとるけどな。 まだ風呂上りで髪の毛濡れとるやろ? 着けてええから、頭乾いてからにしーな」
意気揚々と私の部屋から退出する御袋。
1分後 ~
ドタドタドタッ! と再び私の部屋に入って来て
母:「スマンけど、もう1回見てくれへん?」
と、今度は鏡とブラシを持参して再びアピールしてきた。
私:「分かった分かった。 着けてええから今は外しときな」
再び、意気揚々と私の部屋から退出する御袋。
1分後 ~
ドタドタドタッ! と再び私の部屋に入って来た。
私:「なんや、またかいな!」
母:「服はこれでええかな? おかしかったら言うてや!」
私:「いや、まぁ、全然おかしないで」
母:「そう?」
再び、意気揚々と私の部屋から退出する御袋。
絶不調の時は、極めて非活動的になるので、今日は極めて活動的であり、お洒落に気を使っている事からも、調子が良い事が分かる。
また、ピアノの練習が出来てない時は(練習していても、練習した事を完全に忘れているので)、「こんなんで行ったら先生に失礼やから休む」 と言い出したりする事もあるが、今日は、それもない。
時間になり、ピアノ教室へ。
私:「先生、こないだは有難うございました。 録画したスマホで30回くらい観ました」
先生:「あははは~ もっと白魚の様な手やったらええんやけどぉ」
私:「先生、申し訳ないんですけど、もう1回だけ、今度は左手だけで弾くのを録画させて貰えませんか?」
先生:「えぇ!? それやったら手磨いてきたら良かったなぁ」
面白い先生である(笑)
御袋の方はというと ・・・ 前回ほどのボケはなく、割とまともに弾いている。
決して上手くはないのだが、御袋の場合、楽譜が読めるので、初めて弾く曲でも下手ながらも両手でそれなりに弾けるので、まぁ、大したもんである。
というか、人間の脳というのは本当に面白い。
御袋が本格的にピアノを習っていたのは70年も前であり、しかも今は、アルツハイマー型認知症(中等度:要介護2)を発症しているにも関わらず、それなりに両手でピアノが弾けている。
もう1つ面白いと感じたのは、実は私自身の事である。
実は私も、園児~小学生にかけて、2年近くオルガンを習っていた事がある。
しかし、その頃に習った事は、既に私の脳からは完全消滅しているようで、今年の2月にピアノにチャレンジした時は、心が折れそうになった。
もう少し踏み込んで言うと、40歳を超えてからピアノにチャレンジした場合、それまでの人生において、両手で異なる動きを同時にするという事に慣れていなければ、(つまり、そういう事をする神経回路が頭の中に形成されていなければ)、右手に神経が行くと、左も右と同じ事を無意識のうちにやろうとし、左手に神経が行けば、右も左と同じ事をやろうとしてしまうのである。
因みに、パソコンのキーボードを両手でどれだけ早く打てても、あんなものは何の役にも立たない。
あれは一見、両手で異なる指使いをしているように見えるが、1文字1文字を両手で打ち込んでいるだけの単純作業であって、ピアノのそれとはまるで違うのである。
とにかく、最初の1曲目(私の場合は『モーツァルトの子守唄』という曲だった)が普通に弾けるようになるまで、本当に苦労した。
何故、俺はこれほど出来ないんだろう ・・・ と、自分が嫌になったほどである。
ところが ・・・
2曲目『草競馬』、3曲目『きよしこの夜』 を終えた頃には、両手で異なる動きをするという事に慣れてきたのである。
つまり、同時に両手に違う指令を出す神経回路が脳に形成され始めたという事である。
そして、4曲目『エーデルワイス』 がやっと弾けるようになった頃には、もはや両手に違う動きをさせるという事が苦にならなくなっていた。
私がこれほど苦労して、やっと両手でピアノを弾く神経回路が微弱ながらも脳に形成され始めたというのに、何故、御袋は70年ものブランクをもろともせず、直ぐに両手で弾けたのか ・・・
実は、御袋は幼少期に6~7年間、ピアノを習っていたようで、幼少期にこれだけの期間、ピアノを弾いていると、たとえ70年という長い年月が経っても、両手でピアノを弾くための神経回路は消滅しないという事なのだろう。
因みに ・・・
ピアノにチャレンジし、やっとの思いで1曲をノーミスで弾けた時の喜びといったら、それはもう、脳内で快感物質が音を出して放出されているのが分かるほど気持ちのいいものである。
パチンコに例えるならば(稚拙な例えだが、これが一番近いので)・・・
MAX機(高射幸性の機械)で、ハマりにハマり1000回転(4パチなら金額にして5万円以上)、やっと訪れた本日最大の見せ場で、ボタン一撃PUSHでキメの可動役物が可動して、「ドカーン!!! キュキュキュキュキュイーン!」 と脳を直撃する効果音と共に液晶上で「777」が表示された時の、あの気持ち良さである。
それにしても ・・・
まさか自分がこの歳になってピアノをやる事になるとは、夢にも思っていなかった。
これも、御袋が 「楽器を習いたい」 と言い出したからであり、御袋のお陰である。
御袋が認知症を発症した事についても、最近は「私が将来なる前に、先に御袋がなってくれた。 だから私は、その改善策や予防策について、事前に学ぶ事ができる」と思うようになった。
御袋が認知症を発症した当初は、御袋が御袋でなくなっていく(もっとリアルな表現をすれば、”人ではなくなっていく”)恐怖感と絶望感から、私自身、精神的にかなり厳しい状態に追い込まれた。
しかし、御袋の認知症が改善し、精神的な余裕が出来ると、これは将来の自分のためでもあるという事に気付いた。
実際、認知症の御袋と、認知症予備軍の親父と、共に生活をする中で、認知症を改善させる施策や、認知症の予防策について、色んな発見があった。
この様な知識と経験がゼロの状態で認知症を発症したならば、間違いなく、医師に言われるがまま、教科書通りの処方をされるだけであろう。
誤診 ⇒ 有り得ない処方 ⇒ 重篤な副作用 ⇒ 廃人 or 死
今は未だ、認知症を発症している方は、”少数派”である。
だが、我々の世代が高齢になった時、認知症を発症する方は”多数派”になるとも言われている。
私の場合は、自分自身が若年性の認知症を発症しかかっているのではないか? という強い疑念を持っており、既に認知症という病気は自分自身と無関係ではない。
だが、今現在は介護をする立場の方も、数十年先には、認知症という病気と自分自身が無関係ではなくなっている可能性がある。(認知症の方が多数派になっているのであれば、当然の事である)
そうなった時、今の苦労は絶対に無駄にならないハズである。
仕事のストレスに介護のストレスが加わり、冷静に対処できなくなる場合があるかもしれない。
だが、「これは将来の自分のためでもある」という考え方が、ほんの少しでも頭の片隅にあれば、少しはストレスも軽減でき、介護に対する取り組み方も変わるのではないだろうか。